私の告白付きSoftwareDesign2月号

Tue Jan 19 00:41:55 JST 2016 (modified: Tue Sep 19 13:17:34 JST 2017)
views: 1453, keywords:どうでもいい,SoftwareDesign,ご報告,寝る この記事は最終更新日が6年以上前のものです。

今日発売のSoftwareDesign、何を間違ったか私、インタビューしていただき、晒されております。恥ずかしい。

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恥ずかしいついでに、あんまり人に話すべきでもないことを一つ話しました。自身が知能検査の後、先生に天才という単語と共に結果を告げられたことです。人に話すべきことでもないのですが、ちょうど同時期に同誌で連載されていた清水さんが同じ経験をされていたので(畏れ多く面識はございません)、同じような人のためにやはりどこか目立つところで言っておくべきなんだろうと思っておりました。(ただ、私はもっと数値は低いです。)

天才コンプレックス | shi3zの長文日記

また、自身の能力がどうであろうと、もうこの歳になるとやってきたことベースで評価を受けるので、もうこの苦悩については脱出できているんではないだろうかと実感も持てるようになっており、ちょうど良い時期になったのではないかと。自身のこれまでの仕事っぷりについてはちょっと苦笑いですが・・・。

それと裏返しの話になりますが、まだ若い、現在進行形でそういう経験をしている子というのは、まだ社会に出ているわけではないので業績というものがなく、常に自分の力と周囲の評価のアンバランスに悩んでいます。テストの点なんて、むしろ高いと周囲から反感を買うし、周囲に役にも立たないので、自尊心は満たされません。その結果、割合は少ないかもしれませんが、「周囲や世の中が間違っている」と変な思想に走ったり、また、安易な証明の場所を求めてマスコミの餌食になったりする子がちらほらいるような気がしています。統計を取ってないのであんまり言えないのですが。むしろこれが契機になって統計が取られることを少し希望しております。その点、自分は周囲に四年制大学に行った人のいない超ド田舎暮らしでうんこちんこ言いながらのんびり育ってきたのでまだマシで、変な大人のおもちゃにならずに済んで良かったのだろうなあと。

オウム事件の総括や「(これは勉強に限らずスポーツでも)天才少年/少女」というものがマスコミを賑わす度、世間の言っていることと自分の経験から言える事にギャップがあることにびっくりしているので、もう少し互いに理解が進まないと、みんな幸せになれないのかなあなどと思いを馳せているのですが、思ってるだけだとちっとも理解が進まないので、こうやって歯切れの悪い文章で何となくゴニョゴニョと語り出した次第です。

今日はもうこれで筆をおきますが、現在進行形で苦しんでいる若い人がいたら、その力は自分自身や周囲が楽しむためにあるのであって、必ずしも堅苦しく社会貢献なんて考えなくていいんだと言っておきます。ただ「自分自身と周囲」であることに気をつけて。また、良き理解者がいそうなところを探してみていただければと。

また何か書くかもしれません。

最後に鎌田さん、編集部の皆様ありがとうございました。

寝る。

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