確率ロボティクス復刊。ドサクサに紛れて昔話2(値段について)

Sat Mar 14 15:12:06 JST 2015 (modified: Sat Sep 30 16:15:34 JST 2017)
views: 1554, keywords:執筆,昔話,確率ロボティクス,頭の中だだ漏らし この記事は最終更新日が7年以上前のものです。

昨日から始めた昔話(昨日のポエム)ですが、数年後、確か27歳くらいのときの話から。なぜ8000円(当時)になったかという話(は少しでほとんどポエムなのかエッセイなのかという文章ですが・・・)。

当時、私は博士課程を1年で中退してそのまま大学に就職し、研究室で助手をしておりました(今だと考えられないことですが、当時はそんなことがあったんです)。んで、先生からProbabilistic ROBOTICSの存在を教えてもらいました。たぶん出版から1年以上は経ってたと思うのですが、必要な情報は論文を読んで仕入れていたのでちと存在に気づくのに遅れました。

読んで思ったのは、「これはマズイ」でした。教科書になっているということは、向こうの学生はこれを勉強してすぐパーティクルフィルタが使えるようになるじゃないかと(私個人的にはこれが重要で、SLAMについてはあんまり重要視してなかったというのを白状しておきます)。

というのも、この時点においてですら、私がパーティクルフィルタの話をしてそこかしこで喋っていても、私の説明が悪いのかパーティクルフィルタにあんまり興味を持ってもらえなかったのです。んで、助教授や教授になっている人に話をしてもよく分かってもらえない。このとき私は重大な勘違いをしていたのですが、大学の教授になる人というのは、多少分野が違っても新しいものをすぐに理解できる天才だと思っておりました。しかし、それは間違いで、基本的に自分の専門分野から出るということは研究者にとっては冒険なので、あまり興味を持ってもらえなかったというのが正しいでしょう。少数派ですがカルマンフィルタを否定されたと思って噛み付いてくる人もいました。そんな反応を示されていたので、これは日本の研究者が全滅しかねないと若い私は少々オーバーに考えておりました。若者らしい勘違いです。日本には日本の強みがあるので、それは勘違い。

んで、次に私が考えたのが翻訳しちまえということで、先生もOKしてくれました。そこで、翻訳本が出版できないかと某学術系の老舗出版社にメールを書きました。すぐにベテランの編集の人がやってきて打ち合わせしましたが、次のようなありがたい言葉と共に断られました。

  • うちから出版すると2万円かかる。
  • (前半部分でも先に早く安く出版したいとの私の希望に)上巻下巻にすると下巻が売れない。
  • 早く博士論文書け。

さすがに2万円だと学生が買えないなあと思いました。ということで、早く投稿論文の本数を揃えるために、いったん翻訳の話は封印して論文書きに戻ることにしました。今だと「論文書かないで翻訳なんかしてたらポスト失うだろ」という話になりますが、当時は論文のインパクトファクターとか本数とかという話は今ほど煩くなかったので、研究の手を一旦緩めることに対し、周囲も止める雰囲気はなかったような気がします。その頃はまだ(国の施設としての)国立大学の風習がいろいろ残っており、私は定年まで助手をやっててよいというポストだったので、どういう方法で国やアカデミアに貢献するかは比較的自由に選ぶことができました。と言っても、国際学会の裏方やら学生の世話やらで研究時間なんかろくに確保できてませんでしたが・・・。

余談ですが、そのときに編集の方から、翻訳本やその他書籍がどのようなプロセスで出版されるのかをいろいろ教えていただき、本を出版することに興味を覚えました。一つ、運命を変えた打ち合わせだったと思います。

そうこうしているうちに、数カ月後、なぜかマイナビ(当時は毎日コミュニケーションズ、マイコミ)さんから、翻訳本を出したいというオファーが私に来ました。上記のベテラン編集の方が話を回していただいたのかもしれませんが、定かではありません。私は「いくらで出版できるか?」と聞いたのですが「8000円」との返事をいただきました。学生が頑張れば買える値段だと思いました。また、マイコミさんからすると、それ以上安いと商売になりませんしリスクしかありません。そして判断が難しいことに、学術系の出版社でないのでずっと売ってくれるかは分かりませんでした。が、いったん日本語訳が出回れば、それをもとに英語版を先生たちが読んで講義をしてくれるんじゃないかと思い、ぜひマイコミさんから出させてくださいと私からお願いしました。

で、この時点だったかその前だったかは忘れましたが、スラン先生に「俺翻訳しますわ」とメールを書いてすぐにOKをもらいました。たぶんICRAかIROSの予稿にUedaという名前が毎回あるなあくらいの認識は持っていただいていたかもしれませんが、なんですぐOKだったかは分かりません。誰かに紹介いただいたのかもしれません。ただこのとき、私は一人での翻訳を決断するという、一番大きな間違いをやってしまいました。おそらくベストの人数は2人だったと思います。この分野では私よりもっと理解している先生がいたのに、お前一人で何やってんだというところです。

という紆余曲折があり、8000円という値段で売られることになった次第です。2万円の方がよかったかどうかは分かりませんが、「8000円(今は9180円)高いよ!」と誰かが言っていたらこの話をお伝えいただきたく。今から9年前の話でございました。

続く。

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