確率ロボティクス復刊。ドサクサに紛れて昔話3(翻訳時の愉快な状況)
Sun Mar 15 17:30:22 JST 2015 (modified: Tue Sep 19 13:17:34 JST 2017)
views: 1771, keywords:どうでもいい,執筆,心の風邪が甘えと言うなら一度なってみるがいいさ,研究,確率ロボティクス,赤裸々過ぎる この記事は最終更新日が7年以上前のものです。
復刊、想像以上の反響で少々恐ろしく・・・。
昨日に引き続き、昔話を。昔話をやり出した人は生産性が落ちる傾向にあるので、もうこの機会の後は少なくとも60になるまではしないつもりです。
今回は重たい話なのでさらっと。
昨日書いたのが2006年ごろの話で、博士になったのが2007年3月なので、実際に翻訳を始めたのはD論審査の直後のことだったと記憶しています。ただ、この頃はいわゆる軽度の「心の風邪」で通院して薬をもらっている状態で、翻訳作業やその他大学の業務は枕元にThinkPadを置いて突っ伏した状態でやっていました。頭はほどほどに働いたのですが、体に強烈な疲労感が24時間ずっと残り続ける状態でした。ただ、研究室では寝ながら作業しますと宣言してやってたので、なんとかかんとか休むことなく仕事をしておりました。ちょっと愚痴で後輩に迷惑をかけたのが申し訳なかったのですが、ドラッグの力を借りて楽しくやっておりました。
そんなさなか、さらに悲惨なことが起きます。4月に研究室の合宿の引率中、オフロードバイクで崖から飛んでしまい、頭から着地していろんなところを骨折し、右目が動かなくなり肺にも穴が空いて入院してしまいます。心の風邪を引いている人は生と死の境界線があまりないので、痛かったけど怖くはありませんでした。トラウマにもなってません。生死の境がないから崖に自分から突っ込んで飛んだのかもしれませんが、よく分かりません。
ただ、入院(大学院への入院ではない。病院への入院)は雑用から開放された瞬間でもあり、入院していた12日間で1/3の200ページくらい翻訳が進みました。右目も動かないので目隠しをされ、割れた眼窩底を支えるための風船を口から頬の中に入れられ、夜中は背筋全体が腫れて背中が熱くて熱くてしょうがなかったのですが、かと言って痛いと言っていても時間が過ぎるわけでもありません。ほぼ何の感情も込めず脊髄反射で翻訳を進め、退院後もそのままの勢いで翻訳し、4,5ヶ月で600ページの翻訳を終え、10月に翻訳本が出版されたのでした。入院を経てダイエットにも成功しました。
[caption id="attachment_5390" align="aligncenter" width="243"] 心の風邪アンド入院ダイエット成功後の2007年5月頃の写真。20代の肌のツヤではない。死相が出ておる。[/caption]
めでたしめでたし。めでたくねーよ。
体調不良が翻訳に与えた影響はよく分かりませんし、できたものは本人の都合とは独立して考えるべき(要は「テメーの都合だろ」ということ)ですが、一点、あとがきがちょっと心の風邪っぽい人が書いたような作文になっているところに当時の状況が反映されているかと。今回復刊にあたって消してもらおうか悩んだのですが(まだ確認してないので消されてるかもしれませんが)、そのまま当時の傷跡として、残すことにしました。
また、この前後、何をしたら自分が楽しくて、しかも社会に何か影響を与えることができるんだろうと真剣に考えるようになりました。大学にずっといるのは何か違うよなあと思うようになっていました。長女が産まれたのもこの年ですし、いろいろ曲がり角でありました。29歳、助手4年目の時。
続く。